少数派vs多数派の構図を意識しているのは少数派だけ。
こんばんは。もうこの卑屈なブログを更新することはないと思っていましたが、SAN値がピンチなので、やはり誰かに共感してほしいです。
先日、二日連続で都心に出る機会がありました。
1日目に筆箱をなくしました。
5本以上のボールペンと、漫画を描く用のミリペンしか入っていませんでしたが。
悲しいです。
2日目にはなにも失くさなかったのでよかったのですが
道で財布を落して拾ってもらったり
カフェに書類を置き忘れて店員さんが追いかけてきたりして
自己肯定感が物凄く下がりました。
実はもう一つホームページを持っていて、アクセス解析をつけてみたのですが
訪問者なんてどうせゼロ人だろ・・・・・・と思っていたのに
ゼロじゃなかったです。
監視されてる感が高まり、歩き方が一旦壊れて、また再構築する羽目になりました。
少数の人としか仲良くなれない。
noriakiの曲を聴きながら「アイツら(多数派)はFAKE」と言っている。
しかし、その多数派によって生かされているのも事実で、頭が上がらないよ・・・・・・。
最近物凄く劣等感が高まっているのですが、それと同時に自信もついてきています。
こんなに劣っているのに生かされているのはかなりのラッキーで、きっと神様に愛されているからです。
役立たずなのに愛されているなんて最高の状態じゃないでしょうか。
私が普通の人が出来ることを出来ずにヘラヘラしている中、普通の人たちは物凄くたくさんのことをこなしています。
どう考えても対等に生きていてはいいわけがないのですが、生かされているということを、誇りに思っています。
世界が100人の村で
99人のアスペと
1人の健常者だったら
そいつは異常者
だと思っていたのですが、
健常者が健常者たる所以は、人に合わせて生きていくことが出来るからで
きっとアスペの空気を読み取って、対処して生きていけるでしょう、何の疑問も無く。
それか、アスペ同士の橋渡しでも出来るかもしれません、そしたらその人は物凄く優秀な人と思われるでしょうね。
大人に透明にされて以来大人を憎んでいて、2年程前からやっと許容できるようになったと思っていたのですが、いまだ消えぬ憎しみを自覚すると餃子ライスに半チャーハンをつけるという暴挙に出てしまいます。もう二度とこのブログを更新することがないといいです。誰かに聞いて欲しいのに誰にも聞いて欲しくない。目標のために自分を曲げることなんて簡単で、今までずっとそれが出来ていたのに、何かが歪んでしまって上手く出来なくなりました。もう限界だといつも思う。耐えられないし、許して欲しい。死は救いだと思う。そして贅沢だとも思う。生きていることも贅沢だと思う。八方ふさがりだ。
windowsのメモ帳に書きなぐっていればいいことを、ブログにしてしまう。だからきっと顕示欲がどこかであるんでしょう。惨めだ。不幸自慢なんて絶対にしたくない。散々無理して馬鹿になったのに。知人が私に抱いているイメージと私のなかの私のイメージがあまりにも乖離しすぎてしまった、ここ最近は正直人前にでて許されるクオリティを維持できていない。パフォーマンスが低すぎる。はやく健康になりたい。やればできることを今までやってきた、それが急に出来なくなるのは、甘えだと思うし、甘えだという発言は物凄く理解に乏しいとも思う。でもそれが自分に向けられているなら、いいんじゃないだろうか。甘えだ。