大人が嫌いな大人のブログ

大人が嫌いなまま大人になってしまいました。(16/04/27 ブログ名変更しました)

作ること あとは スキとキライについて

ストラテラの処方箋をもらったのですが面倒でまだ薬をGETしていません。

ていうかこの面倒という気持ちがコントロールできていないと思っていたのですが、ただの怠けなのかもしれません。

けど、同じ事柄にたいして周りの人より面倒さをより多く感じている気がします。

たとえば、靴をきちんと履くことがあまりにも面倒でなかなか出来ません

出さなくてはいけない書類を期日中に出すのもとっても面倒です、書類に書いてある文字を読むのがとっても面倒です。

周りの人はどんなに面倒だと思っていてもちゃんとこなしていたりするのでエライなァと思います。

きちんと、とか、ちゃんと、とかが苦手ですね でも怠け者にしかみえない 実際そうかもしれない そうじゃなかったらどうなのか、どうしようもない。

とにかくまずはストラテラをもらいにいかないと何もはじまりません、この面倒だと思う気持ちとすこしカンケーがあるのですが自転車のカギをまたなくしてしまいました・・・・・・今年に入って何回カギを変えたかわかりません。

 

 

本題に入ります、「作ること」

作ることが昔からスキなのか・・・・・・スキじゃない気もしますが・・・・・・

とにかく、何かを作っていることが多いです。

絵を描いたり曲を作ったり、ホームページを何個も作ったり、今ブログを書いているのも文を作っているという感じ。

小さいころはなんで図工よりも体育が好きな子がいるのか、とても理解できなかった。図工が嫌いという子はほとんどいなかったと思う、スポーツは(ボールを投げたり走ったりするのがあんまり得意じゃないからっていうのもあるけど)全然おもしろいと思わない。

成長と共にだんだん気づいたのは、別に作らないでも構わない人がいること。

というか、なんで作るのか?っていうことを考えるべきで、なぜ作らないの?というのはどうでもいい。もし私が「なんでスポーツしないの?」って聞かれたら、はあ、と思います。キョーミないからだよっんなこた聞くな馬鹿。

 

なんで作るのか・・・・・・何かを作っている人はたくさんいますけど人によって違うだろうからわからない。

作って、発表して、いろんな人の感想を聞いて・・・・・・いろんな段階がある、どこの段階で満足するのかが結構違うと思うし。

中学生くらいまでは、誰かに見て欲しいという気持ちが強かったと思います。新聞か何かの投書だったと思うけど、「誰にも見せない絵を描く」という人がいて、なんで??と思っていました。自己顕示欲なんでしょうか?なんていうか、作品を通じて誰かに何かを言いたかった、そして分かって欲しかったなあ。

最近はあんまりそうでもないかもしれない。もちろん作って発表はするときもある、けど誰かに見せるためではなく作るために作っているときがある。絵曲文章それ以外の思いつく何でも・・・・・・そういうのを後で見返したりもあまりしない、作ったらそこで何かが終わった感じで満足します。

作ることがスキなのかよくわからない、ただとにかく、何かを作ることで自分の内に溜まったエネルギーを放出しているんだろうと最近気づきました。何もしないでエネルギーを貯め続けたらどうなるか、空気を入れすぎた風船みたいに破裂するんじゃないかって・・・・・・んなこたないけどねっ。

スキとかキライとかじゃあなくて、生きていくために作っていくことが欠かせないんです。何もしないでいることがとにかく難しい。

本能で作っています。誰かに作品として見てもらえなくても、作り終わらなくても、作るという行為が食べたり寝たりすることと同じグループに入ってしまっています。

他の人がどうなのかとても知りたい気分です。

 

 

スキとかキライっていう言葉をすでに何回か使っていますが、実はスキキライについてあんまりよくわかっていない。

「好きの反対は無関心」って有名な言葉ですね。じゃあ嫌いの反対は・・・・・・?って思ってしまいます。

今の結論(これは知人からヒントを得たのですが)、スキとキライはあんまり区別しない。興味があるかないかだけで十分っ

スキとキライはプラスとマイナスの関係とは違う。同じものにたいして好きという気持ち、嫌いという気持ち、どっちも持っていて相殺しあうものではないんじゃないかっていうことです。めちゃめちゃ簡単なことな気がする、けど今まで考えないと分かりませんでした。

ある人に対して「あなたの明るくて一緒にいると楽しいところが好きだけど、口が軽くって何でもべらべら人にウワサするところはちょっと嫌いっ」って思ったり・・・・・・あるかな。そういういろんな「好き」「嫌い」を、たとえば簡単に数値化してみて「好き」100「嫌い」30とかなったとき、100-30=70だから「好き」は70になりましたっとはならない、とりあえず私の中では。好きだけど嫌い嫌いだけど好きっていう感じで。けどこの考えはどうだろう、なんかちょっと微妙に話がずれている気もするからどうかな。

で、次に思うことはスキとキライを分けないで考える。さっきいったように一つの対象に好きなところ嫌いなところがあったりする。それをいちいちココが好きでココが嫌いでだから結局はスキキライあえていうなら・・・・・・とか考えない。

キョーミあるかないかでいいんじゃないかって、スキとキライの総合値がキョーミ値って感じ。100スキ30キライなら130キョーミ・・・ってこんな単純ではもちろんありませんが。

キョーミもてるものが私はあんまりなくて、キョーミあることはとても集中できる、そのことについてずっとずっと考えていられる

キョーミの持てるものを探して見つけたい・・・・・・特に、興味の持てる人を。友達がほしいなあ